吉祥寺から独立した人たち
住みたい街ナンバーワンと言われている吉祥寺で多くの買い物客で賑わっています。その中でテナントの高騰と大資本のチェーン店が出店を加速しているために個人店が少なくなっているのも事実。
その中でハモニカ横丁を中心に飲食店を運営している会社からの独立組がお店を出しています。
〇やきとんなるせ 吉祥寺ヨドバシ近く
正に出世頭でいつ行っても店内は賑わっています。N店主の人柄は抜群で人気のあるお店です。
西荻窪北口にある同店は八丈島出身の店主が経営する居酒屋。長い間色々なお店で経験んを積んできただけあってお店のメニュー、店舗設計は工夫がされています。
Vグループの飲食店に転換時代の早い頃に学生バイトでした。隠家家的なお店で静かに飲みたい人にはおすすめ。イベント、ライブが多く開催されているので確認が必要。
〇サレカマネ 西荻窪北口戎の通り
2年前にオープンした立ち飲み中心のお店。何か吉祥寺の匂いがする店舗デザインです。また日本酒も多く取り揃えています。
今年の9月にオープンしたばかりのお店。関西出身の調理人の店主の創作料理は抜群です。おすすめの日本酒との相性は抜群。
〇食事葉地(閉店) 西荻窪女子大通り近く
吉祥寺で人気の立ち飲み店から西荻窪に移転。定食店として再オープン。夫妻で運営する心温まるお店です。
皆さん独自のコンセプトで頑張っています。是非とも訪問ください。
幻の吉祥寺駅~田無駅の鉄道路線
昭和初期に吉祥寺と西武新宿線の田無駅が結ばれる計画がありました。
現在は中央線、西武新宿、池袋線、京王線、小田急線など都心から放射線状に延びている鉄道路線をつなぐ交通機関はバス路線に依存しています。
それに対し道路は山手通り(環状6号線)、環状7号線、8号線など他、名前の通り環状で東京都内を結ぶ路線になっています。
井の頭線の吉祥寺駅はJRから乗り換えの時は階段とエスカレーターで更に3階にホームがあります。
これは井の頭線が将来的に吉祥寺~田無~東久留米に延伸して、西武新宿、池袋線に接続する計画の名残りです。
これも西武グループが乗り換えにより、西武新宿線への乗降客減少を危惧から反対で中止になりました。
逆に大正時代に西武鉄道の前身会社の村山鉄道→川越鉄道は田無~吉祥寺への鉄道路線の施設許可を得ました。
しかし、田無~高田馬場に路線変更した為に建設中止になったとのこと。
*
現在ヨドバシカメラがある吉祥寺大通の上を高架の井の頭線が通り、五日市街道を越え、青梅街道~田無駅につながっていたら、現状の環状線の鉄道網が少ない西東京はかなり便利になっていたと思わずにいれません。
現在はバス路線が充実しており、西武新宿線、京王線の通勤圏内からバス(西武バスが多い)に乗り中央線の吉祥寺駅に向かう人たちを多く存在します。
3.11震災明けの月曜日に、吉祥寺駅前にできた改札に入れない乗車待ちの通勤者たちの多さがそれを物語っています。
少し郊外になりますが、立川を通る多摩モノレールは西武線~中央線~京王線を結ぶ環状鉄道としての利便性を提供しています。
*
やはり鉄道、道路などのインフラ事業は国家百年の大計ではありませんが、人口が増え住宅地が増える前に構想、設計しなければならないものだと感じます。
それを考えると、吉祥寺大通り(ヨドバシカメラの前の通り)や吉祥寺公園通り(東急百貨店、パルコの前の通り)を作った方たちは繁華街が遮断される弊害を乗り越えました。その偉業は慧眼でありリスペクトします。
東京吉祥寺田舎暮らし 読後の感想と回顧
リブロ吉祥寺で購入した東京吉祥寺田舎暮らし を早速読んでみました。
著者のWebちくまでの連載をまとめたもので、この期間に起きた出来事がリンクされていました。
吉祥寺を「田舎」にしているのは、イギリスでの生活で過ごした町から「ビレッジ」をこぢんまりしたコミュニティーと定義しているようです。
著者の50代女性の視点から吉祥寺での生活を中心にして、イギリスの回顧録や、今迄過ごしてきた人生と重ね合わせて著述してありました。
やはり、年代や人生経験が違うと「見えている風景」が違うことを当たり前ながら再確認しました。
この本を読んで思い出したのは、セピア色の記憶をたどると1980年代の吉祥寺は今ほどは込み合ってなかったことです。
「住みたい街ナンバー1」などメディアに取上げられる機会が多くなり、吉祥寺周辺以外の来訪者も多くなったことも影響しているようです。
それに伴い微妙に低年齢化すると共に、隣の西荻窪や三鷹などとは違い、外部からの来訪者がかなり多くなり渋谷、新宿化しているとの指摘が当たっているように思います。
吉祥寺周辺の学校は昔の記憶から言えば、上流階級の子弟が通う成蹊学園。リベラルな法政一高(法政大学高校)。才媛の集う東京女子大。少し離れて武蔵野女子大(武蔵野大)。今は本部機能だけになった武蔵野美術大などの学生街です。
それと、上記の学生の傾向からかヤンキーたちを見かける事が少ない街です。
吉祥寺だけでなく、この10年は大手チェーン店が既存の個人店を駆逐してしまいました。そのために、どこも同じ街並み、看板を見るにつれて街ごとの特色がなくなっているようにも思いました。
個人経営の喫茶店が少なくなり、カフェブームでスタバ(このお店が一番増えました)、タリーズ、エクセルシオール、ドトール、サンマルクカフェ、に加えコーヒーに力を入れているマクドナルドなどのお店が北口、南口に所狭しと出店しています。
また、1990年代は北口から近いコンビニと言えば、今はなくなった中道通りのampmか吉祥寺大通のローソンだったのですが、数年前に平和通りにファミマや昨年元町通りにセブンイレブンができました。
ドラッグストアーもマツキヨ、サンドラッグなど大手のお店が出店しています。
ロンロンがアトレに、伊勢丹がコピスに、近鉄百貨店がヨドバシカメラになったように吉祥寺で長く営業していた商業テナントが時代の流れや諸事情により変わっています。
外資系の化粧品店「ブーツ」がサンロード入り口の一等地に出店しましたが、短期間で閉店。サンロードの行列のできたシナモンロールの「シナモン」も昔の話となりました。
そんな状況の中で、書籍内で女子大通りから少し入った「まるいち食堂」が触れられていました。私も学生時代に何回がお世話になりました。
今でも変わらない値段や雰囲気が一服の清涼剤でした。
著者は下北沢のように低年齢化から街離れが起きることを危惧されていました。
中央線沿線と東急線沿線との比較で面白かったのは、中央線沿いの町を「ドロ臭い」、東急線沿いは「気取っている」と言う表現は正に当てはまっています。
話は逸れますが、以前読んだ本で武蔵野市と三鷹市の合併問題に触れていました。井の頭公園が武蔵野市にあると思っている人が多いように、三鷹と吉祥寺は相互に密接な関係にあります。
行政サービスや再開発、街づくりの再考のためには、合併問題をもう一度考える必要性も感じます。
吉祥寺にアンテナを張って四半世紀になります。その間いろいろな事があり、変遷も多かったことを思い出した読後の感想