吉祥寺ベンチマークBLOG

吉祥寺を中心とした中央線沿線での出来事、お店、街の変遷などを書いています。

東京吉祥寺田舎暮らし 読後の感想と回顧

リブロ吉祥寺で購入した東京吉祥寺田舎暮らし を早速読んでみました。

 

著者のWebちくまでの連載をまとめたもので、この期間に起きた出来事がリンクされていました。

 

吉祥寺を「田舎」にしているのは、イギリスでの生活で過ごした町から「ビレッジ」をこぢんまりしたコミュニティーと定義しているようです。

 

著者の50代女性の視点から吉祥寺での生活を中心にして、イギリスの回顧録や、今迄過ごしてきた人生と重ね合わせて著述してありました。

 

やはり、年代や人生経験が違うと「見えている風景」が違うことを当たり前ながら再確認しました。

 

この本を読んで思い出したのは、セピア色の記憶をたどると1980年代の吉祥寺は今ほどは込み合ってなかったことです。

 

「住みたい街ナンバー1」などメディアに取上げられる機会が多くなり、吉祥寺周辺以外の来訪者も多くなったことも影響しているようです。

 

それに伴い微妙に低年齢化すると共に、隣の西荻窪三鷹などとは違い、外部からの来訪者がかなり多くなり渋谷、新宿化しているとの指摘が当たっているように思います。

 

吉祥寺周辺の学校は昔の記憶から言えば、上流階級の子弟が通う成蹊学園。リベラルな法政一高(法政大学高校)。才媛の集う東京女子大。少し離れて武蔵野女子大(武蔵野大)。今は本部機能だけになった武蔵野美術大などの学生街です。

 

それと、上記の学生の傾向からかヤンキーたちを見かける事が少ない街です。

吉祥寺だけでなく、この10年は大手チェーン店が既存の個人店を駆逐してしまいました。そのために、どこも同じ街並み、看板を見るにつれて街ごとの特色がなくなっているようにも思いました。

個人経営の喫茶店が少なくなり、カフェブームでスタバ(このお店が一番増えました)、タリーズエクセルシオールドトールサンマルクカフェ、に加えコーヒーに力を入れているマクドナルドなどのお店が北口、南口に所狭しと出店しています。

また、1990年代は北口から近いコンビニと言えば、今はなくなった中道通りのampmか吉祥寺大通のローソンだったのですが、数年前に平和通りにファミマや昨年元町通りにセブンイレブンができました。

ドラッグストアーもマツキヨ、サンドラッグなど大手のお店が出店しています。

ロンロンがアトレに、伊勢丹がコピスに、近鉄百貨店がヨドバシカメラになったように吉祥寺で長く営業していた商業テナントが時代の流れや諸事情により変わっています。

外資系の化粧品店「ブーツ」がサンロード入り口の一等地に出店しましたが、短期間で閉店。サンロードの行列のできたシナモンロールの「シナモン」も昔の話となりました。

そんな状況の中で、書籍内で女子大通りから少し入った「まるいち食堂」が触れられていました。私も学生時代に何回がお世話になりました。

 

今でも変わらない値段や雰囲気が一服の清涼剤でした。

 

著者は下北沢のように低年齢化から街離れが起きることを危惧されていました。

 

中央線沿線と東急線沿線との比較で面白かったのは、中央線沿いの町を「ドロ臭い」、東急線沿いは「気取っている」と言う表現は正に当てはまっています。

 

話は逸れますが、以前読んだ本で武蔵野市三鷹市の合併問題に触れていました。井の頭公園が武蔵野市にあると思っている人が多いように、三鷹と吉祥寺は相互に密接な関係にあります。

 

行政サービスや再開発、街づくりの再考のためには、合併問題をもう一度考える必要性も感じます。

 

吉祥寺にアンテナを張って四半世紀になります。その間いろいろな事があり、変遷も多かったことを思い出した読後の感想