吉祥寺にまつわる安倍晋三氏と菅直人氏の関係
総理大臣として返り咲き「アベノミクス」で一世風靡している安倍晋三氏です
そんな中で思い出したのが以前に発刊された雑誌東京人の中でいせや公園店で成蹊大学の同級生であるホイチョイの馬場康夫社長との対談でした。
内容は忘れましたが成蹊高校から大学まで吉祥寺に通われていたので、大学時代は何回かこちらのお店に来ていたのではないでしょうか。
山口県出身ですが、安倍氏は実質東京育ちで吉祥寺の学校に通っていました。しかし山口の選挙区から立候補しています。それに対して山口県出身ながら選挙区は吉祥寺のある武蔵野市から立候補しているのが民主党の菅直人元総理です。
この背景を盾にして、2005年郵政選挙の際にTVの報道番組で菅氏が安倍氏に対して「あなたは地方の窮状をご存知でない!」と追及していたことが今となっては懐かしいです。
自民党から立候補している衆議院議員で元武蔵野市長だった土屋正忠氏も落選中は地道に選挙区を回られているようで、商店街のお店でも土屋氏のポスターを良く見かけました。
選挙活動は吉祥寺の北口、南口のどちらかで候補者同士は紳士規定でかち合わせしないように、お互いに譲るのが通常だったようです。
2012年の選挙中はサンスポによれば菅氏は北口で演説をしながら、南口ではその様子をスピーカーで流しているとの記事が掲載されていました。それは選挙の危機感の表れのようです。
吉祥寺の属する東京18区は三鷹市も選挙区に含まれていたのですが、2002年に区割が変更になってからは外れ、その代わりに府中市加わった背景があります。
個人的には吉祥寺周辺と言われる三鷹市と武蔵野市はセットで考えているので同じ選挙区にしてもらいたいのですが、三鷹市と武蔵野市の入り組んだ境界線と歴史的背景、各市の縄張り争いなどが影響しているように思います。
さすがに菅氏は市民運動家としての実績と地盤を地道に築いてきたため、郵政選挙の2005年は東京の民主党候補者が総倒れの中で唯一の当選を果しています。
市民運動家として市川房江氏の選挙活動を手伝いながら、衆議院選挙に立候補するも3回の落選を経験して4回目で当選を果した筋金入りの政治家です。
原発事故でかなりの批判を受けた菅氏です。肩を持つわけではありませんが、一歩間違うと日本が壊滅するかもしれない非常事態の中で精神的にも体力的にもタフでない首相は務まりません。
ノブレスオブリージュとの言葉が表しているように、一国の危機を救うためには自分の命を捧げるくらいの気構えが総理大臣をはじめとして国会議員には必要に思います。
政党の公募や選挙時の風向きで当選して、何となく国政を担う人もいて、数多くある職業の中で選んだのが国会議員ですと言う人も見られるようです。
吉祥寺のような都市部と、山口県などの地方都市とでは住民、有権者の求めていることも異なっていると思います。
これから日本の未来を担う政治家の方たちには色々と配慮が必要だと今更ながら思います。