吉祥寺ベンチマークBLOG

吉祥寺を中心とした中央線沿線での出来事、お店、街の変遷などを書いています。

中杉通りのケヤキ並木 阿佐ヶ谷

都市出版社刊行の『東京人』の中央線沿線特集を読み返していたら

関東大震災の際の内務大臣後藤新平氏の大震災翌年の演説で「世界の道路は幅が広く、もし日本もそうならば大きな火災は避けられた」と述べていたとのことです。

第二次世界大戦末期の1945年、空襲による延焼を防ぐため、建物を取り壊す『強制疎開』が阿佐ヶ谷周辺も対象になりました。

強制疎開の効果で大きな延焼を防ぐことができて、結果的に跡地が『帯状』に残ることになり、阿佐ヶ谷駅南口から青梅街道までの道路が完成することになりました。

地域住民の寄付により、ケヤキの苗木が119本植えられ、その後に北口から早稲田通りまで延長して現在約1.6kmの中杉通りに270本に本数が増加しているそうです。

この計画に関しては、強制疎開により立ち退きを余儀なくされた和菓子を営む一店主が区や都に交渉を重ねて、努力が実り中杉通りけやき並木が誕生することになりました。

阿佐ヶ谷の中杉通りと対照的に隣の荻窪駅前は<新青梅街道~早稲田通り~青梅街道>を結ぶ大きな通りは環八しかなく、中央線が地上を走り、JRと青梅街道で分断されている駅前は狭くて広がりがないのが残念です。

今までのような『ハコモノ』重視の公共投資ではなく、資源エネルギーが必要以上に浪費することのない「自然、環境、人間に優しい街つくり」を目指すべきだと思います。

先行投資により財政的負担は増えますが、再開発にともない、それを上回る経済効果があるような国家計画を作成して欲しいものです。

この中杉通りのけやき並木の歴史を振り返ると、政治が決断して大きな絵を描き、民間の智恵を結集して資金を調達をすることにより、これからの日本国家の再構築をしていかなければならないのだなと実感させられました。